あの時の自分に逢えたら、なんて声をかけますか?

これほど「好きなことやったら?」と書きまくっている僕こそ


実はなかなか行動できない人間

 

でもあったのです(過去形ですよ)。

あれこれあれこれ考えて考えて…
せっかくいいアイディアやプランがあっても
タイミングを逃して


「それもう終わりました」
「今はもう必要ないです」
「すでに○○さんにやっていただきました」

 

そんなお声をもらうたびに自分を恨んだものです。

なぜ一生懸命考えるのか…自分でイヤというほどわかっています。


失敗するのがこわい

 

ただこの一点だけのために行動できない人間だったのです。

僕は小さいころから運動をするのがニガテで
地域のソフトボールチームではコーチのおじさんが
エラーが多すぎてフライノックで「顔面にケガさせてまうわ!」
とノックをしてもらえず、学校のサッカーの授業では下手過ぎて
「ここに立っとけ」とキーパーの真横のコーナーとの間に立たされていました。
泳げるようになったのも小学校の高学年からです。

試合や授業中なのでそれらの出来事は本当に恥ずかしく
その場から一刻も早く逃げたい気持ちでいっぱいでした。


恥をかくことの苦痛


に周りも自分も恨みました。

今から思うと大したことはないのですが
その当時は親にも殴られたことのない子どもでしたので(笑)
今でも覚えている程度は傷ついたのだと思います。

絵だけはうまかったつもりでしたが
それもある時先生の「なんか下手になったなぁ」と言われてから
もう書く気持ちが一気になくなりました。


いつも誰かに褒められることを待っている

そんな子どもであり、やがてそれは大人になっても続きました。

これまでもこのブログで「いい子」でいようとしていたことは書きましたが

それがためにいつのまにか


ほめてもらえるように善いことをしよう
認めてもらえるように成功しよう

そんなことばかり考えていたのです。
でもその考えは同時に

失敗してはいけない
失敗したら笑われる、あの子どもの時みたいに…

という考えとセットだったのです。

するとあの頃の気持ちに戻って恐れが先に立ってしまい
結局何もできずに終わってしまう。
そしてまたそんな自分に憎悪をためてしまう…

長い間そんなことの繰り返しだったと思います。

今当時に自分に逢えて何か声をかけるとしたら

とにかく、やれ
オマエが失敗しようと成功しようと
本当は誰もこれっぽっちも気にしていない
とにかく、やればいい
どんな小さいなことでも自分がやりたかったらやればいい
やめたかったらやめてもいい
まずは自分のためにやってみる
なんでも自分で決めてええんやで

 

その自信のなさはいったいどこからくるのか
その恐怖心はいったいどこからはじまったのか
その気持ちと判断は本当に正しいものだったのか


そうやって過去の出来事や気持ちに
何か置いてきたものがあるかもしれません

そしてそれらすべてを


ゆるす



昔の自分にたまに会いに行ってみてはどうでしょうか?

しんどかったな
つらかったな

今の自分ならそんな思いをしている人に何かできることがあるかもしれない
そういう気持ちが何かのきっかけになることもあるんじゃないでしょうか。

 

今日も思わず長くなってしまい、失礼しました…(;’∀’)

 

今日もお忙しいところ読んでくださり、ありがとうございました(^-^)

 

マツモトヨシヒコ プロフィール

マツモト ヨシヒコ
マツモト ヨシヒコRadio DJ | Designer | Mental Suppoter | Author etc.
【20代】レコード店勤務【30代】印刷会社デザイナー【40代~現在】はがきマーケティング講師を経て、2013年よりWBS和歌山放送ラジオ「週刊ガラRADIO」メイン・パーソナリティー。【著書】「接客のプロが新人のために書いた接客の本」(共著/重版8刷/アマゾン3位)【資格】日本メンタルヘルス協会認定 基礎心理カウンセラー。

 

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